NPO法人LGBTの家族と友人をつなぐ会のトップページへ戻る

それでも言えなかった

昨年私の友人Aが亡くなりました。彼女はレズビアンです。

彼女とは2年ほど連絡取れていなかったのですが、共通のレズビアンの友達を通じ彼女が亡くなったことを知りました。今でも信じられません。

Aの親友の異性愛者の友人Bとも私は友達であり、昔よく3人で遊んでました。 私は比較的オープンなレズビアンなので、自分のプライベートな友人にはほぼカミングアウトしています。

なので、Aの親友のBにも自分のセクシャリティを伝えようと思っていたのですが、Aがクローゼットなため、大親友のBに対してさえ彼女はカミングアウトしていませんでした。よって私もしませんでした。

彼女はクローゼットだったため、家族や友人には誰にもカミングアウトしていません。唯一知っているのは、レズビアンの友達だけです。

親はもちろん彼女がレズビアンであることは知りませんし、Aの親友のBさえ本当の彼女の姿を知ること無く、世を去りました。 彼女はまだたった28歳です。 本当に若すぎます。

なぜ、彼女は自分の一番大切な周りの人に自分の本当の姿を知らせること無く、世を去ったのか、考えさせられました。 何がそんな風にさせてしまっているのか、彼女自身の問題でしょうか。社会の問題でしょうか。

彼女は明るく、お通夜にも多くの人、大学生の時の友達や会社の友達、プライベートの友人、またもちろんレズビアンの友人も来ていたとのことです。

Bは言ってました。何の繋がりかは分からないがすごい人が来ていたと。 彼女はおしゃべりな人でした。それでも言えなかったことが、自分のセクシャリティです。 そんな社会がなんだか、切なく感じました。

昨日、2010年8月14日に東京プライドパレード参加しました。そこの場所では、みんなオープンに、「僕はゲイです。私はレズビアンです。」と書いたプラカードを持って堂々と歩いていました。

そこの空間ではみな自由に自分達のセクシャリティについてオープンにできます。ただ、社会に出れば大抵の人は自分がゲイ・レズビアンであることについて、クローゼットにしていると思います。勿論私もその一人です。

ただ確実に社会は、NHKでLGBTについて放送されたり、テレビの中でLGBT当事者を見る機会は増えてます。

でも一方では、目に見えていない当事者が沢山います。早く社会の中で生きやすい、LGBTが目に見える存在になる社会になることを願います。LGBTが人権問題であることを早く世間の人に知ってほしいです。

M.N.