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我が子はもう以前の我が子ではないの?

生まれた頃から日々その成長を見守ってきた我が子ですから、私達親は彼らの事をなんでも知っており、理解していると思いがちです。

そんな時、「ぼくは(わたしは)ゲイなの。」と言われてしまったら、急に我が子が分らなくなってしまうか、時にはそうかも知れないと思いつつも親が親自身の中でその事実を認めない場合が多くあります。告白されるとたいていショックと喪失感を感じるでしょう。

子どもに託す夢、将来への期待など勿論誰もがもっているものですが、その夢はあなた自身の体験、生まれ育ってきた環境、文化の歴史から生まれたものなのです。こんなにも多くの同性愛者が存在する事実があるにも関わらず、いまだアメリカ社会においても親というものは子どもが異性愛者であるという固定観念にしばられています。

あなたの今感じているショックや喪失感といったものは全く自然な苦しみの過程であるといえます。子どもに託した夢の喪失、それはあなた自身が作り上げた我が子のイメージ、我が子の事はなんでも分るのだという自負の喪失に他ならないからです。

考えてみれば、それは異性愛者の子どもにしても、同性愛者の子どもにしてもの当然の出来事といえます。子どもは常に親を驚かせてくれます。例えば、親の望むような相手と結婚しなかったり、親が良かれと思う職を選ばなかったり。彼らは彼ら自身で選ぶ人生を生きてゆくのですから。つまり、私達が生きるこの社会において、親は我が子が大勢ではない性的指向を持つかも知れないという状況を想定しておく必要もあるわけです。

何があろうと、変わらない事実は我が子が我が子であるということ。あなたの子どもはあなたがその性的指向を知る以前と何ら変わりない大切な我が子なのです。変わる物があるとすれば、それは愛する我が子を本当に知る事、理解する事によって変化するあなた自身の夢、期待、幻想なのです。