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子供に伝えたい事 2010.6.20 UP

私の娘(あえて娘と呼ばせて頂きます)は、身体は女ですが心は男です。

私が娘の性同一性障害に気がつかされた、小学5年生の時でした。

担任の先生が突然訪問され、学校で娘が問題行動を起こしたと話始められたのです。

その時は何がなんだかわからず気が動転してしまいました。問題行動の内容が私には衝撃的だったからです。娘が学校で問題を起こし、それが原因で一部の女子の中に嫌な思いをした子がいると言うのです。そして、それが原因で娘は変だとの噂が流れているとの事でした。とりあえず、その日のうちにその子の親御さんに謝罪の電話をいれました。私はこれまで人に謝罪する時は電話ではなく常に訪問をしていました。それが最低の礼儀だと子供にも教えてきました。でも、この時ばかりは親御さんの顔を見るのがとても怖かったのです。案の定親御さんからは困惑した様な返事が返ってきました。当然ですよね。当の本人の親でさえ困惑しているのですから。

その頃、家では長女の高校での人間関係についてのトラブルがあり、それに加え、私自身の実家の金銭問題で走り回っていた頃でした。今考えてもぞっとする程いろんな事があった時でした。そして、それらの事を全部自分が悪かったとずっと心の中で責めていましたから、ショックの為、娘にも何も言えずにただ黙っている事しか出来ませんでした。

「お母さん、わし、女の子が好きなんや」無言に堪えられなかったのか、娘の方から口を開きました。娘は自分の事を「わし」と言います。今考えれば、自分の事を「わし」と呼ぶ娘の事を不思議に思わなかった私は親として失格でしょう。
「ずっと前から、たぶん保育所に通っている時から、女の子が好きやった。」その一言から始まり、娘はせきを切った様に話し始めました。
「わしも大きくなったら、お父さんみたいな身体になるんやと思ってた。でも、誰に話したらいいんか解らんかったんや。男子と一緒に遊んでたら、わしもふざけてやってしまった。ホンマにごめん。こんな事になるとは思わんかったんや。」
涙ぐんでいる娘に、普段なら何でも話せる私が何も思い浮かばず、ただ黙って聞いていました。人は本当に驚くと何も話が出来なくなるんですね。
そんな私を見て娘は、「お母さん、わしの事、気持ち悪い?このまま生きていていいの?」

その一言でやっと我に返りました。今、この子は本当に苦しんでいる。いや、ずっと苦しんでいた。誰にも言えず、「言えば気持ち悪がられる」そんな思いでこれまで黙っていた。いつも傍にいたはずの母親の私にさえ言えなかった。私は、この子の何を見ていたんだろう。いや、見ていたつもりで10年間育てていた。本当に親として失格だ。今、何か声をかけてやらなければこの子はもっと苦しむ事になる。でも何を言えばいいんだろう。

何も思い浮かばず、思わず抱きしめて「辛かったやろ?」それしか言えませんでした。すると娘は「ワァーッ」と、どこから出ているのか解らない位大きな声で泣き始めました。これまでの辛さをすべて表現するかの様に。それから二人でただただ、泣きました。

その後の小学校生活は、娘や私にとって針のムシロでした。私は役員として学校にいく事も多かったのですが、誰も口を聞いてくれなくなりました。参観日に行くと、生徒の口から「変態の親が来た。」と小さい声が聞こえました。娘に聞こえているかどうかはわかりませんでしたが。
たまに行く私でさえ、こんなに辛いのに毎日学校へ通う娘はどんな気持ちでしょう。
その後、不登校ぎみになりましたが、そんな娘に学校に行けとは言えませんでした。学校でどんな仕打ちをされているか想像できますから。

6年生になり、担任の先生が代わってから娘に転機が訪れました。進級してすぐにそれまでの事を全て先生に話して、何度もなく話し合いの機会を下さった先生でしたので、娘も先生を信じて休みがちではありましたが頑張って学校に通い始めました。何人かの生徒の中に娘の味方をしてくれる子をみつけてくれましたので、そこから少しづつ学校にも慣れ、嫌がらせにも耐えてこられたようです。

その担任から、「こんな勉強会があるんですけど行きませんか?」と、1枚のプリントを渡されました。そこには『性同一性障害について考える』とありました。その勉強会は学校の先生を対象にしたものですので一般の保護者は見る事が出来ません。でも、先生のはからいで私も参加できる事になりました。

その時の講師が土肥いつき先生でした。この方との出会いがその後の娘の心や生活を大きく変えてくれました。

勉強会はとても解り易く、頭のいい先生で、ボキャブラリーが豊富な為か飽きる事なく、むあいろ引き込まれていく様に話を聞いていました。そして、自分自身が性同一性障害についてずっと疑問に思っていた事や誤解していた事をすべて明らかにして下さいました。そして、何よりそれまで自分自身を責め続けていた私に、誰も悪くない、誰のせいでもないと言う事を解らせてくれました。

勉強会が終わった後、先生が講師の土肥先生に私の事を紹介して下さり、食事をしながら話をして下さる事になりました。私はこれまであった事を話しました。

今まで心を開けずにいた事なのでどんどん言葉が出てきました。先生は黙って聞いてくださり、その後、今の娘の状況を解り易く話して下さいました。「お母さんも辛かったやろな」そう言われ、初対面の方の前なのに思わず涙が出てきました。やっと、素直に泣けました。

その土肥先生から専門医への受診を勧められ、県立岡山病院の中島先生を紹介して下さいました。実際、専門の先生の存在すら知らなかった為、本当に助かりました。この中島先生の説明もわかり易く、今の娘の状況を丁寧に説明して下さいました。今後の娘の治療の進め方を明確に教えて下さり、安心してお任せできると思いました。

もし、どなたか専門医をお探しの方がおられたらお奨めしたいと思います。

また、その後、土肥先生から性同一性障害の子供達の交流会がある事を伺い、その会に誘って頂きました。娘を連れて初めて行った時は正直驚きました。これは言葉では言い表せない驚きです。禁句かもしれませんが、女の子と男の子の見分けられず、声を掛けられないまま戸惑っていましたが、暫くすると打ち解けて話せる様になりました。みんな素直ないい子ばかりです。大きな悩みを抱えている子供達ですから、私達の周りにいる健常者(?)の生徒より心が広いと思います。娘も同じ悩みを抱えた子供に囲まれ、やっと本当の自分をさらけ出せる様になったようです。自分の事を認めてくれる事を心から喜び、自分の居場所をやっと見つけた様です。

初めて娘の事を知ってから4年になります。この4月、第一志望の公立高校に合格し元気に通っています。中学の3年間も本当に辛い事の連続でしたが、その都度話し合いながら乗り越えてきました。あんな事があってから、娘は私に何でも話をする様になりました。

そして、高校合格の日、娘は私に「お母さん、今までホンマにありがとうな。」そう言ってくれました。この一言でこれまでの辛かった日々が報われた様に思いました。

私は当事者の親でありながら、未だに当事者の気持ちは把握しきれていません。娘をこれからどう導いていけばよいか、未だ答えは見つかっていません。

多分、思春期に入り成長していく中で、娘はもっと大きな悩みを抱えていく事になると思います。でも、その時にはもう私の手の届かないところに娘はいるでしょうね。だって、私自身も思春期の頃には、親に言えない事が沢山ありましたから(笑)。
でも、どんな事があっても、娘の居場所はあるんだと、常に伝えていきたいと思います。

どんな事があっても愛している、辛い時は帰ってくればいいとこれからも話していくつもりです。親に出来る事って、その位しかないと思っています。娘を通じて解った事は、ただひとつだけ、どんな人間にも居場所は必要だという事です。当たり前の事だけど、自分の居場所が無くなりそうにならなければ、その必要性が解らなかったかもしれません。交流会には色んな子供達が集まります。中には親には相談出来ない、言えば捨てられるかもしれない、そんな不安を抱えている子もいます。娘の為だけでなく、そんな子供達を救う事が出来れば良いと思いながら今も生徒交流会に参加しています。

山本陽子

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