今月は、練馬区で交流会を開きました。今回はL,G,T当事者、親、Allyとバラエティに富んだ参加者。
背景もそれぞれで海外生活経験者が多かった為、海外のLGBT事情も聴くことができた。LGBT理解増進法の国会審議が始まる、というところだったので、当事者の思いは複雑だ。成立して少しでも前進すれば良しとするのか、2年前より後退している法案を成立させるわけにはいかないのか。G7の中で差別禁止がないのは日本だけ、と言われているものの、日本よりも過酷な国の場合、「トランスジェンダーはあり得ない」として見ないことにされるとか。帰国して、日本の状況に安堵し精神的に安定した、との話を伺うと、かの国のLGBTQ+当事者の境遇は生死の境目にあるような気がする。依然として、日本以上にLGBTQ+当事者の人権が守られていない国があることに今更ながら怒りを覚える。
同性婚が認められている国でも、親が受け入れられないというケースもある。養育側と被養育側の立場の違いがそうさせるのだろうか?
日本では、多様性教育を受けている中・高校生、大学生にとって性の多様性は至極当然だが、親世代はそうはいかない。40代以上の親世代は男女二元論、異性愛主義が当たり前の世界観の中で成長し、多様性教育もなかった。性は男と女に分かれていることに疑問を持たずに生きてきた。今更、LGBTQ+と言われても、おいそれと追従できない刷り込みがある。子どもを愛しているのに、幸せになってほしいのに、自分の価値観が邪魔をして子どものカミングアウトに快く応えることができない。そんな自分が歯痒くすらある。
カミングアウトは親のスタンスを占う試金石ともいえる。ある親は子どものセクシュアリティを受け入れ、また、ある親は受け止めてから考える、そこで悩み、葛藤する。そしてまた親によっては拒絶する。
親は自分の価値観で子どもを育てている。子どもを自分の分身のように、所有物のように、自分の夢を託していたりする。子どもが幸せであるようにと言いながら、子ども自身の願う幸せは違うかもしれないということに気が付いている親がどれだけいるだろう。カミングアウトはそれを明確にする。子どもを親の価値観から手放し、子ども自身の力を信じて望む方向へ行かせることができるだろうか。それがなかなかできず悶々とする親は多い。
そこで重要な働きをするのが、つなぐ会のようなピアカウンセリングなのではないかと思う。自分と同じような立場の人たちが集まってそれぞれが語り合う。或いは反対の立場の人(この場合は当事者)の意見を聞いて、一つの物事が立ち位置によってどれだけ違って見えるのか、ということを知る。自分が固執している価値観を客観視することができる場所に出向き、他者の意見に耳を傾ける。そして自問自答、それを継続していくことで内省を深め、他者への理解を深めていく。
自分の視点を手放して相手の視点に立つ事、それが相互理解の基本、共生社会に生きるための姿勢である。それも多数派が心掛けなければ成り立たない。多数派に立つ親、保護者は自分の立っている場所から外へ飛び出していってほしい。 M