今日は、お休み・・・。
そろそろ、親族関係について、くさびを入れようかと言う事。
お互い、全然合わなければ平行線に変わりはない。
今まで、近所や学校関係、そして会社へと復帰、そして、自ら出向く事によって、私の生き方とか考え方を伝えてきた・・・。
親族たちにとっての「外堀」は、着実に埋まってきている・・・。
まずは、その第1弾として、母と離婚して別居中の父に合う事でした。
私にとって、父は、嫌いな男の典型でした・・・。
「男」と言う生物を嫌いにさせたのが父の存在。
私は、男が嫌いであり、自分が男であった事を憎んだのも、父のせいかも知れない・・・。
ただ、父と兄の家族には、母の知らない所で交流していた事も知っている。
実家には、母が寝たきり状態で、義姉が介護している状況も義姉とのメールのやり取りで知っている・・・。父と会って、私が、どんな形であれ、この社会で幸せに、ちゃんと生きていると言う事を知らせよう。
そう思って、父が住んでいる大阪市内の家に電話をしました。
この家は、私が生まれ育った所。
本来ならば、私に、この家が相続されるはずだった所でした・・・。
まもなく、父が電話に出てきて、私の方から簡単な近況説明と、お昼にお食事をしないかと誘いました。
父は快諾。
最初は、義姉の電話だと勘違いしたらしい・・・。
私の声は、かつての私の声ではないので、無理もない。
午前11時、梅田のホテルで再会。
もちろん、私の方から声を掛ける。父は、一瞬、きょとんとしていた。
鰻料理を食べながらしばし、お話する・・・。
私の状況は、義姉から聞いていたらしい。
でも、本当に幸せなのか?会社で、ちゃんと仕事をやっているのか?
疑問だったらしい・・・。
私の方から、復職に至るまでの事や、現在の仕事の状況を説明。
すっかり、心身を崩す前の状態に戻っており、姿形は変われど、自分にとって、本当に幸せな状態である事を言った・・・。
父は、「大学の同窓会とかは出られないだろう」等と漏らすと、すかさず私は、「この間、OB会をやった。」と答え、「じゃあ、合気道部は無理・・・」と言うや否や、「去年の秋に行って来た」と答え。
「高校・・・」と言いかけると「高校も正月にやった。」と答えた・・・。
そして、私は、「そんな事で、ごちゃごちゃ言うのは、親族だけ!」と言いきりました・・・。
黙る父・・・。
やがて、「世の中には本音と建前がある。」等とうめく様に言いましたが、私は、一瞬「そんな2枚舌を使うのも親族」とまで言うのはやめました・・・。
これ以上、年老いた父を追い詰める事もない・・・。
とにかく、私がちゃんとやっている事が、少しでも解ればそれでいい。
最後まで、私の事を昔の名前で呼んだ事、「ウチには娘はいない」事を頑なに通した事については、敢えて何も言いませんでした。
そこを崩してしまうと、父が壊れてしまう様に思ったから。
「まあ、元気で、幸せに暮らしているのは解った。老後の事もしっかり考えなさい」と、父は、そう言って、私と別れました・・・。
私の両親は、もう80歳を超え、2人とも決して健康状態は良くない。
私の昔の面影を失いたくないと言う思いもあるのは、痛いほど解るつもり。
両親については、できるだけ、そっとしておきたいと思って、私は一旦家に戻りました・・・。
あやか(MtFトランスジェンダー)